【山岳部】未踏峰への挑戦!プンギ遠征直前インタビュー①

今夏、立教大学体育会山岳部は青学大、中央大、東大の山岳部と合同で世界最高峰のヒマラヤ山脈の未踏峰・プンギへ挑む。立大から参加するのは横道(法4)・中沢(法4)の2名。①本来の登山の形の体現、②大学山岳部の存在とその活動を広めることを目的に、企画の立案から計画、実行まですべて学生のみで行う。9月5日に日本を発ち、58日間の壮大な旅へと向かう2名へ事前インタビューを行った

 

 

ーまず初めに自己紹介をお願いします

中沢)立教大学山岳部の現主将の中沢と申します。法学部の国際ビジネス法学科で今年は休学中です。 この遠征のために休学して準備期間を設けてやっています。

横道) 立教大学山岳部4年の一応副将をやっております横道と申します。法学部国際ビジネス法学科です。僕は皆さんと違い、親の説得ができなかったので今は就活中になります。

インタビューに答える中沢(=写真左)・横道

 

ー山に登る際にメンタルは関係してくるか

横道)山は落ちたら死ぬので、そのリスクがやっぱりあると思います。結局山はリスク管理です。他のスポーツは結構競技性が強いですけど、山はわりとリスク管理のスポーツと言われていて、「いかに安全に」が重要です。例えば早く登るかとか、あえてこの壁の方から登ってみるとか、そういう芸術性とそのリスク管理の調和みたいな感じが登山にはあると思います。結局怪我したら、負けに近いところはあるかもしれないですよね。例えば、凍傷で指なくして登頂できたって人は確かに記録は残りますが、でもそれって指なくしちゃっているから、大きな減点だよね、本当は五体満足で帰ってくるのがいいよね、みたいなところもあるので、総合的な競技だと思います。

 

ープンギ遠征隊に参加することになった経緯

横道)多分 立教スポーツの記事も上がっていますが、2023年に立教大学体育会山岳部として1回ヒマラヤ遠征を行ったんですけど、 まずみんな初めてのヒマラヤ登山、高所登山で、富士山以上の標高を体験したこともない、クレバスも知らない、高所順応といって、一気に上がると高山病になっちゃうのですが、そういったノウハウが全くない状態で行ったことや、気象的な条件とかもあって、結局撤退って形になりました。せっかくあんなに準備したのに登れなかったっていうモヤモヤってした気持ちはみんなあったともいます。中沢は 帰りインドの空港で、実は社会人の隊に応募したんだよねって抜け駆けされてしまいました(笑)

中沢) 僕はもうヒマラヤへのチャレンジが途中に終わってしまって、もうすごく悔しくて、自分の実力や計画も甘かったんじゃないかっていう、後悔がすごく残っていました。なので、すぐ、日本山岳会という組織のヒマラヤキャンプという団体に、ヒマラヤの未踏峰を目指すというチームがあって、そこに自分はすぐ応募しました。

横道) ネパールで応募して、インドで通ったんだっけ。

中沢) そう、一応通って、僕はすぐそっちの社会人と一緒に もう1回ヒマラヤに挑戦しようっていう考えだったんです。でも、ちょっとだけ参加してみて、やっぱり社会人となので、時間が合わなかったりとか、自分が授業があって参加できないとか、そういうやりづらさもちょっと感じていたところでした。

横道) ここで話は戻りますが、僕は心の中で失敗したし、同期の中沢は抜けがけしたみたいなモヤモヤとした感じでした。帰国後にたまたま日本山岳会学生部という関東近郊の大学山岳部の幹部の人たちが集まる場があって、そこに引き継ぎで行った際に、青学の同級生の子が、実はヒマラヤ遠征を学生だけでしたくて、でも青学で実力あるのが自分しかいないし、後輩とは組めなくて、他の大学と組みたいんだよねって話をそこで聞きました。これ乗るしかないんじゃないのと思い、そのまま二つ返事で、やろう!となったんです。でも青学の子も、別に東大の子誘っていて、 最初その3人。それで、あともう2人ぐらい欲しい、1人が同い年ぐらいの子で、もう1人は後輩が欲しいとなりました。結局4年生だけで行ったら、次の代に後継していく人がいなくなってしまうので。そこで、考えてみたら、これ中沢連れてきた方がいいねとなったんです。

中沢)自分はまだ学生なので、 同年代のメンバーと行った方が、より挑戦する気持ちになる、より楽しくできるかなって思って。学生のうちにしかできないことなので、そこにじゃあぜひ参加しようってことで参加しました。

 

ー遠征が決まった時の周囲の反応

横道)部活はちょうど代替わりの時でした。4年生はいましたが、中沢が主将、僕も副主将なって、これからどう運営していこうって話をする際に、話しましたが、そうなんだ、くらいの反応でしたね。その時はまだ足がついた計画ではなかったのもあると思います。今となってはもう計画もしっかりしていますが、当時はまだ構想で、やるかもしれないって感じだったので、みんなも、そうなんだ、みたいな感じだったのだと思います。

中沢)あと、多分後輩はまた自分が4年生になった時にそういうことができる可能性があると感じたのは、1年生とかには響いたんじゃないかなと感じます。

横道)今回うまくいけば僕らは2回大学在学中にヒマラヤに行けたという話になって、今入っている2年生も、うまくいけば在学中に2回行けるかもしれない。仮に1回目失敗したとしても、2回目もっとよりいいとこいけるかもしれないっていう、わかりやすい目標みたいなのを作れたらいいと思います。

 

ー家族の反応は

前回、ヒマラヤ行くって言った際は、うん、そうなんだ、みたいな感じでした。次もまたヒマラ行くかもって言ったら、へえ、就職するんだよね、みたいな感じです。定期的にヒマラヤに関する話はしていたんですけど、ついこの間、フリーのライターが書いてくれた記事を家族ラインに流した瞬間、あ、本当に行くんだみたいな感じになりました(笑)

 

ー費用はかなりかかるのか

横道)かなりかかりますが、これはめちゃくちゃケチってます。本当なら最初行った時はトリッキング会社の方々に登山許可とかとってもらうんですけど、ネパール語わからないので、依頼するときに、ホテル、テント、コックさんなど全て用意してもらいました。でも前回値切った経験があって、値切ってもなんだかんだなんとかなるっていうのがわかったので、今年に関しては、食事、途中の宿泊費、燃料とかも全部自分で用意するので、最低限のガイドのみでお願いしますと言いましたね。けど、もしこれが1ドル120円とかだったらもっと安くなっていいたので、。もろに円安の影響を受けています。

 

ー燃料や食事も自分たちで?

横道)自分たちで、日本で調達したり、あとは今、フリーズドライの協賛会社さんに連絡していて、 協賛いただければ、その経費の削減にもなります。

 

ー登るだけの準備じゃないのですね。準備段階で特に大変なことは?

横道)僕はこの隊で渉外を担当していて、基本的に現地とのガイドと調整をしています。みんなで現地のガイドさんにみんなで話し合ったルートを伝えないといけないんです。僕はちょっと骨折れたなって思ったのが、値切り交渉。例えば、向こうは100円でモノを売りたいのに30円で売れなんて、 本当だったら値切っても60円ぐらいかなっていうのに、そんな不親切なこともできないし、かと言って、ギリギリ攻めないといけないっていうのが個人的には大変でしたね。あとはエージェントが決まらないと何も始まらないので、そこは若干責任感じていました。

 

ーそれぞれ役割がある感じなんですね

中沢)そうですね、自分は装備を担当していて、今やっている仕事は企業さんにお願いをしたりとか、あと、メディア系で今、『山と渓谷』という山を専門に扱っている雑誌に自分たちの挑戦を取り上げてくれないかっていう話とかを進めたりしていて、みんなにこの登山を知ってもらえるような風に動いている途中です。

横道)あとは、資金ですね。さすがにすべて自費は厳しいところはあるので、それで今、 各大学でOBさん方にちょっとお願いして寄付金を頂いたりとかしています。あとは、母体が日本山岳会という日本で1番大きい山学会で、なかには年配で登られていないけど、若い世代を応援したいっていう方々もいらっしゃったりするかもしれないので、そこでこれから寄付を募ろうかな、みたいに考えています。多分このままうまく行けば、もしかしたらお金集めが一番しんどいかもしれないですね。

中沢)確かに、かもしれない。

穂高・屏風岩を登るメンバー

 

ー遠征に関して楽しみなこと

中沢)楽しみなのは、2022年にヒマラヤキャンプの登山隊が途中まで行った地点までのピークの先の山頂付近がどうなっているか、それを見るのがすごい楽しみです。まだ誰も行ったことないところを自分で進んでいって、自分の目で確認できるっていうのが楽しみですね。こんな経験ないと思います。今大体もう、日本の山だったら全部登られていて、ネットやyoutubeにもいっぱいあがっていて、 全部調べられるんですよ。ここがどう難しいとか、ここが危険地帯だとか。そういうのが、一応写真はあるが、この透明の写真でしか今のとこわかんない状況で、 実際に行ってみないとわかんないっていう、そのワクワクは今すごく感じています。

 

ー逆に不安なことは

中沢)その先がわからないことです。だから行ってみないとわかんないですね。

横道)写真を見ると、手前がちょっと壁っぽくなっていて、そこが雪ならザクザク上れるかもしれないけど、もしこれが仮にめちゃめちゃカチンコチンの氷だったらちょっと厳しいんです。

中沢)あとは、斜面が一方の側しか見えてないんですけど、反対側がどうなっていて、 どのような景色が広がっていてというところもわからないんです。予想だと、ナイフリッチと言って、 ちょっと尾根が細くなっていて、という状態だとちょっと危険で、そういう状態だとちょっと不安が大きいですね。行ってみないとわからないというこの感じがやはり不安ですね。

横道)この写真の画像があること自体、ちょうどいいみたいなところはあります。全くわからない状態で行くのでは、成功率みたいなのもまた変わってきますが、逆に、日本人の隊員の方々が行って、 実際現地の言葉も聞いて、写真も頂いている状態であれば、この1年半ぐらいの短い準備期間の中では、1番、難度が高くて成功に近い、うん、いい感じの難易度なんじゃないかなみたいな思ったりしています。

中沢)今の段階が全部予想でしかないっていう、面白いけど、そこが不安にも繋がっています。

横道)あとは天気ですね。

中沢)それもあるね、確かに。

横道)最近、もうヒマラヤも異常気象なんです。前回、僕らがついた時に首都が雨でした。ほんとは砂埃たくさんまってる国なんですけど、 雨降るんだと思って、仲介会社の方に聞いたら、いや、2ヶ月ぶりだよ、と聞いて。平地で雨が降っているってことは、山でも雪が降っているってことなので、本来歩きやすい道に、雪が積もっているんです。10センチ、15センチぐらい積もったりするので、 ちょっと天気侮れないですね。みんな異常気象と言っているので、結局僕らの行く時期もわりとヒマラヤ登るのに適した時期ですけど、もしかしたら、ずっと吹雪とかで全然登れなかったり、雪がすごく積もりすぎちゃって、 クレバスっていう、氷と氷の溝に落ちたりしたりして死んじゃったりするかもしれない。それが見えてれば避けられますが、それが雪で見えなかったらただの落とし穴になります。それが原因で去年は敗退しています。雪も溶ける見込みがなかったんです。なので、今年はその分40日というとてつもなく長い間、辺境の地で電波もないところで過ごすので、3,4回頂上を目指せる行程にはなっていますが、もしそれが全部潰れたり、すごく限られた日程でしか行動できなかったらどうしようという不安は、あります。運なのでどうしようもないんですけどね。

 

(取材/編集・鈴木麻里奈、花井遥)

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