【「立教スポーツ」編集部 創部50周年記念企画】OBインタビューvol.2 宮澤静也様(1992年度卒)
第244号に掲載しきれなかった、OBインタビューの全容を公開!
第2弾は、旺文社第一書籍出版部・宮澤静也様(1992年度卒)です。現在は編集者である傍ら、立大レスリング部のコーチも務めます。仲間と出会い、取材に燃え、文章に関しては誰よりもこだわりを持っていた学生記者時代。そのすべての経験が、現在につながっています。
-リスポに入ったきっかけ
私が入学した当時は、入学式の前の日に本館の前あたりにクラス分けの掲示がされていて、新入生はそれを見に行っていたんです。その場所で色々な部の上級生が勧誘活動をやっていて、そこで立教スポーツの先輩に声を掛けられました。その時に「立教スポーツ」編集部っていうスポーツ新聞の部活があることを初めて知って。それから他部も含めて色々考えた上で、いちばん面白そうだなと思った立教スポーツに入ったというのがきっかけですね。
-現役部員時代で思い出に残っていること
私が入学したのが1989年なんですけど、その年に立教の野球部が秋のリーグ戦で23年ぶりに優勝したんです。私が入学して半年くらいの時にそういうビッグイベントがあって。私も応援団担当として神宮にはよく行っていたので、号外やパレードにはお手伝いとして色々と関わることができました。その時は大学としても久しぶりの優勝だったので、パレードのやり方も分からないみたいな感じで。みんなが「あれどうやるの、これどうやるの」とたいへんな騒ぎでした。池袋全体もすごく盛り上がって、活気があったのが思い出に残っています。野球部はその次の年も続けて秋に優勝したので、在学中の4年間に2回も野球部の優勝を見ることができました。立教スポーツの部員として号外作りなどの貴重な経験をすることができたし、それがやはりいちばん思い出に残っていますね。
また、応援団の60周年を記念した特集を企画したことも思い出深いです。私が特集を提案して、紙面の1ページをまるごと使って掲載しました。そのために電車で10時間ほどかけて合宿の取材にも行きましたね。
―応援団とのエピソード
応援団の同期とは仲が良かったし、先輩方にも可愛がっていただきました。私が合宿に行ったのは3年の夏だったのですが、取材をしている時に、4年生の先輩――当時リーダー部長として恐れられていたけど、本当はとても優しい人――その先輩がいきなり私の方を見て、真顔で「お前、今から応援団入れ」って言ってきて。「え?僕もう3年ですよ?」って言うと、「今から半年で全部教えてやる」って(笑)。本気だったかどうかわからないけど、そんなふうに言ってもらえたのはすごくうれしくて、今でも記憶に残っていますね。
―リスポの活動の中で一番力を入れていたのは
文章に関しては間違いなく力を入れていました。表記の統一や誤字の訂正、表現や言い回しがおかしくないかチェックするのは、しっかりやったという自負があります。私が入った時には主筆(※)という役職は無くて、各面の担当者の上級生がチェックして終わりという感じだったのですが、あとで新聞ができてみると文字の間違いも含めて表現がちょっとおかしいとか、こういう言い回しは適切じゃないんじゃないかというのがあったんです。それで、私の代が役職を決める時、私が提案して主筆という役職を新設しました。当時、明大スポーツにはそういう役職があって、うちでもやりたいなあと思っていたんです。それぞれの面の記事を上級生がチェックした上で最後に私がすべての記事を見ることで、紙面全体での統一感を持たせるという点では貢献できたかなと思っています。
(※主筆…「立教スポーツ」編集部における文章の最高責任者。紙面に掲載されるすべての記事に目を通し、表現の誤り等が無いか念入りにチェックをする)
−主筆を務める中で、一番気をつけていたことや心がけていたこと
当時はまだWordやワープロをほとんど使わなかったから変換ミスのようなものはあまり無いのですが、単純な文字の間違いや文章の使い方・言い回し、「この表現は主語と述語の繋がりがおかしいんじゃないのか」などを細かくチェックしました。あとは文章として間違ってはいないけれど、型通りというか、「◯月◯日、〇〇で大会が行われた」という文章から始まって最後は「これからに期待」のような形で終わる、定型化したような文章がとても多かったんです。別に間違ってはいないけれど、もっと違う表現はできないのかということは部員によく言っていました。せっかく記事を書いて出すんだから、読んだ人の心に残らない平凡な文章じゃなくて、どうせなら読む人を感動させてほしい、取材した選手に喜んでもらいたいと思っていたし、今でも思っています。そこは自分としては大事にしていましたね。
−30年前は他大の新聞部と頻繁に交流があったのか
勉強会もあったし、飲み会や懇親会もありました。昼間はグラウンドを借りて懇親ソフトボールをして、夜は飲み会というのを年に数回やっていましたね。また、年に1・2回「六大学スポーツ」というものも発行しました。いつも各大学が自分たちで作るような紙面を、六大学合同で作っていたんです。あとは関関同立・京都産業大・龍谷大との東西合宿も毎年やっていました。今も同志社や明治と定期戦を行っている部が結構あると思うんですけど、立教スポーツではそれ以外の大学も含めて交流があったので、色々な大学に友達ができたのは楽しかったですね。
−リスポで活動していて良かったこと
たくさんの人々と出会えたことですね。私は田舎から出てきて大学入学時は誰も知り合いがいない状態だったのですが、立教スポーツに入って色々な担当班を持ってるうちに気がついたら友達や知り合いがすごく増えていたんです。当時は今みたいに携帯もメールも無くて、せいぜい家の電話が唯一の連絡手段だったので、そのぶん大学の中でよく会っていました。今はコロナの影響でなかなかできない部分もあると思うのですが、キャンパス外でも取材場所や練習場所で多くの時間を共有することができたのは、すごく自分の世界が広がりましたね。私は今レスリング部のコーチ兼広報部長をしているのですが、それも大学時代にレスリング担当として取材をするうちに自分でも競技をやるようになって、練習に行ってレスリング部のOBにしてもらって、コーチになったという経緯なんです。もう卒業してから来年で30年が経つのですが、いまだに立教大学体育会と深くつながっていられるのは本当にありがたいことだし、良かったなと思うところです。
−大学卒業後はどのようなキャリアを
出版社で編集の仕事をしています。入社以来転職をしたことが無いので、来年で入社30年になりますね。旺文社で去年までは大学受験の情報誌の編集をやっていて、編集長も何年か務めました。去年からは担当が変わり、今は『全国大学入試問題正解』『全国高校入試問題正解』という書籍の国語の担当をしています。入試問題をひたすら集めて解答解説を載せるという、一見地味なようですが実際に作ってみると奥が深くて面白いです。営業も何年かやったのですが大部分が編集の仕事なので、そういった意味ではずっと大学時代やっていたことがそのまま仕事にもつながっていて、現在にも生きていますね。
−リスポはどんな団体であるべきでしょうか
新聞を送っていただくごとに気づいたことや意見をお伝えしていますが、それは皆さんにもっとより良い部であってほしいし、より良い新聞を作ってほしいと思うからです。立教スポーツは立教の体育会の中でちょっと独特のポジションですよね。体育会の一員ではあるけど運動部ではないし。最近は立教スポーツから体育会委員長が出るというのが何年かに一度あるみたいだけど、僕らの頃は絶対にあり得ませんでした。立教スポーツの編集長が体育会本部の情報宣伝部長になるのは決まっているけど、それ以上は無いというか。そういった意味で、今の立教スポーツは体育会の中で確固たるポジションを築いてきているんだと思う。現役のみなさんや僕より若い卒業生が努力して、今の立ち位置を築いているのですね。ここ数年はコロナ禍で規制があることも十分承知していますが、その中でも工夫して活動していると思います。立教スポーツはすごく幅広い活動ができるし、自分でもっと世界を広げようと思えばなんでもできる部だと思います。色々なことを貪欲に吸収して大学4年間を過ごしていくと、やっぱりこの活動をやっていて良かったと思えるので、現状に満足しないで、新聞ができたら「ここが良かった」「ここが悪かった」ときちんと振り返ってみてください。今は昔と違ってWebやSNSでの発信もできるので、そういったものももっと活用できると思います。そのようなことを皆さんで話し合いながら、より良いクラブにしていってほしいです。
(取材・菅野真理香、仙丸絵里香、簗田明 編集・菅野真理香)