【「立教スポーツ」編集部 創部50周年記念企画】OBインタビューvol.1 山口史泰様(2020年度卒)
第244号に掲載しきれなかった、OBインタビューの全容を公開!
第1弾は、テレビ長崎アナウンサー・山口史泰様(2020年度卒)です。学生時代は遊ぶ暇もないほど取材・学業・バイトに全力投球!リスポでは、あの中川颯選手(2020年度卒、立大野球部→オリックス・バファローズ)の番記者でした。中川選手から多大な影響を受け、現在のお仕事を志したといいます。
―現役時代一番の思い出
野球部の中川颯選手が桐光学園時代からの同級生でして、彼を取材できたことは印象的な思い出の1つですね。日常生活の中からプロ意識が高い選手で、取材するうちに私も彼に影響されました。元々なんとなくマスコミを志望していたのですが、「プロの世界で頑張りたい」という彼の姿を見たときに、自分も伝え手のプロとして働きたいなと感じて、アナウンサーを目指し始めたんですよね。中川選手は自分の価値観を変えてくれました。
あとは、ヨット部の取材が印象的でした。最初は強くないチ―ムだったのですが、いち取材者として応援しているうちにだんだん強くなっていったんです。取材を進める中で徐々に仲良くなって、自分もヨット部の一員みたいな関係になって。ヨット部のみんなと一緒に集合写真を最後の大会で撮ったのが、仲間として認められたようでうれしかったです。
―中川選手とのエピソ―ド
彼は絶対にプロになるという明確な目標を持っていて、目標に向かってどうすればいいのか考えて一歩ずつ行動に移していく人でした。日々の全体での練習の中でも、「自分には何が足りないのか」と自身の視点に置き換えて練習していました。いつなれるか分からないけれど、絶対にプロになるという非常に強い軸を持ち続けていましたね。日常生活とか食生活にもそれが表れていたり、体の使い方を学ぶためにフィットネスクラブで教えを請うたりしていて、やっぱりプロ意識の高さとそれを実行する力っていうのはやっぱり印象的だったかな。
私と彼は、一緒に焼肉とか行く仲だったんです。高校でも投げているのは知っていたけれどそんなに関わりはなくて。大学入ってからドラフトかかったときに焼肉屋さんでおめでとう会したのはすごく楽しかったし、サインボ―ルをもらったのはとても嬉しかったですね。今でも連絡を取るんですよ、彼とは。よくYou Tubeとかで動画上がっているのを見て、「最近どう?」みたいな。今でも刺激を与えてくれる人です。
―取材先の人と深い関係を築くには
新聞や戦評を書いたりする中で、みんなその場その場のやり取りを書くのが普通だとは思います。でも、その1試合の中でも選手1人1人にバックグラウンドやドラマがあったりするっていうことを大切にしたかな。ヨットは負けが多かったけれど、行ってみるとそれでも頑張ってる人がいたり、逆境の中にも面白いドラマがあるなって感じました。意識したことは、ドラマを見つけること。バックグラウンドとか中々教えてもらえないことのほうが多いけれど、そのためには取材に何回も行くこと。それを大切にしていましたね。
―取材での思い出
ヨットの取材で鼻を折ったことかな。船の上で転んで顔面強打したんですよ。その翌日にアナウンサーのインタ―ンを受けなきゃいけなくて、その時に使う写真が無かったんです。なので鼻を折ったまま写真を撮って、それを送って、インタ―ン受けましたね(笑)
―リスポの活動の中で大変だったこと
勉強・バイト・部活の両立がすごく大変でした。経済学部のゼミに参加する時間も取る必要があって。神奈川県の中央林間という所に住んでいたのですが、池袋まで1時間半ぐらいかかるんですよね。23:30くらいにゼミが終わって、そこから帰るみたいな1週間で。その中で部室に行くし、週末は取材だし、バイトはその隙間時間でやらないといけないっていう。レストランのバイトや、小田急線で駅員さんのバイトをしたこともありました。スケジュ―ル帳が毎日ぎっしりだったので、今考えてみたら恋愛とか遊びの時間が取れていなかったのが、学生時代の心残りだったのかなって思いますね。
―取材以外で力を入れていたこと
私は業務(※)だったんですよね。業務で新聞の広告取るのは活動の中で力を入れていたかな。今まではわりと毎年同じような会社が入っていたけれど、もう少し今後のためにも会社を広げたいって思って。タ―ゲットに見合うところ、例えば12月号だったらクリスマスだから飲食店を多くあたってみようとか。企業の新規開拓には力を入れました。経営学のゼミに入っていたのが少し役に立ったのかなと。全部リスポにつながっているなと感じますね。
(※業務…企業などとの広告契約を通して、「立教スポーツ」の製作費を集める役職。)
―リスポの活動は、今の仕事にどうつながっているのか
私はテレビ長崎というフジテレビ系列の放送局でアナウンサーと記者を兼任しているのですが、やはり取材をしてきたというのは1つ大きかったですね。どういうふうに聞けばいいんだろうとか、どういうふうに引き出そうとかそういうところは役立っていると思います。でも扱う内容がガラッと変わるので。リスポではスポ―ツだけだったけれど、会社に入ったら、事件、事故、裁判、県政・国政、生活情報とか、スポ―ツ以外のものを取り上げることも多くて。取材の仕方やポイントはそれぞれ違うので、難しさも感じますし、これからどんどん身に着けていかなくてはならない部分だと感じます。でも誰かの話を聞く事をしてきたということ、取材の対象者に対する関係づくりや取材の手法といったところは、リスポの経験を生かせているところかなと思います。
―マスコミ系の職種の中でアナウンサーを選んだ理由は
中川選手との出会いの中で、伝えるプロになりたいと思ったのがきっかけでしたね。伝えるプロってなんだろうと考えた末、行きついたのがアナウンサーという職業でした。アナウンサーって自分の言葉で伝えることが1つ大きな仕事の役割だと思うのですが、記者とは全く違うんですね。スポ―ツだったら実況として伝える、ニュ―スだったら、ニュ―ス読みで伝える。絵本の読み聞かせとかもあるんですよ。絵本の読み聞かせだったら、それぞれ同じ言葉でも、発声の仕方や抑揚や声の明るさなどで使い分けているというのが結構、自分の中ではすごく魅力的で。同じ声でもいろんな手法で伝えることができる。それを磨けば伝えるプロになれるなと感じたのがアナウンサーになるきっかけかな。でもとりあえずスポ―ツが好きだったので、実況者を目指し始めたというのが最初で、それがよく考えたら伝えるプロにつながるなと思ったというのが経緯ですね。
―アナウンサーを目指し始めたのはいつ頃
大学2年生の10月くらいです。
―アナウンサーになるためにどのようなことに取り組んだのか
アナウンススクールというのがあるんですよ。声出しとか、アナウンサーになる方法を学ぶところが。そこ1本で頑張ってやっていこうかなと思うときもあったんですが、アナウンサーはマスコミという事もあって取材も絶対するんです。だからそういう意味では、リスポは途中で辞めちゃいけないなと思って続けていましたね。もちろん途中で辞めようと思ったこともありましたけれど。
―今のリスポに対して思うことは
いつも見ていますよ。はるばる豊島区から長崎に新聞が届くので、拝見しています。私たちが作っていたときよりもいいものになっているなとか、凸の置き方をこだわっているなとか、自分が作る側だったからこそ、そのように拝見しています。
―「立教スポーツ」はどうあるべきか
今コロナ禍というのを考えたら、できることって限られると思うんですよね、大分落ち着いてきましたけれど。こうやってコロナ禍でみんな気分が落ち込んだり大変だったりする中で、こんなふうに選手が頑張っているんだっていうことが伝わって、みんなに元気や勇気を与えられるような紙面であれば良いのではないでしょうか。
―リスポに期待すること、メッセ―ジ
自分がスポ―ツ以外の事を取材する立場にあるから言えるのかもしれないですけれど、どんな競技であれ、スポ―ツって人を元気にさせるんですよね。サッカ―や高校野球の視聴率とかは結構上がるんです。スポ―ツってみんなが興味ある事だし、それを見て元気をもらう人っていると思うんですよね。それは大学スポ―ツも同じだと思っています。でも大学スポ―ツってなかなか新聞とかテレビでは取り上げられなくて。でも元気や勇気を与えるツ―ルとしてとても価値のあるものだと思うので、是非それを学校内、できれば学校外にまで広げていければいいんじゃないかなと思います。また、紙面だけじゃなくてインターネットももっと使っていければ色々な人に発信できると思うので、「立教スポ―ツ」がもっと注目されるような媒体になってほしいなと思いますね。
(取材・本間早瑛、菅野真理香、仙丸絵里香、簗田明 編集・菅野真理香)
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