【フェンシング部】「もっとフェンシングがしたかった」
引退試合となったインカレでの1戦を終えた後、野根(社4)は吐露した。野根は4年間を振り返る。21年度は主将を務めた。フェンシングを心から愛したからこそ、喜び、苦しんだ競技人生だった。
高校時代。365日24時間、フェンシングのことを考えていた
中学まで続けていた野球は一生懸命取り組めずにいた。優秀な兄との比較の中で劣等感を抱き、野球に対して真摯に向き合わなかった。努力ができない自分を変えたくて、立教新座高校フェンシング部の門を叩いた。
「365日24時間、フェンシングに熱中した生活を送りました」。
朝も、授業中もフェンシングのことを考えて、放課後は部活でフェンシング。初めて、何かに熱中することを知った。野球に身が入らなかったこれまでと比べて、はるかに充実感があった。
周囲には中学からの経験者も多く、1、2年生の時は全く勝てなかった。何度も折れそうになったが、中学時代の二の舞にはなりたくなかった。ただ地道に自分を信じて、練習に励む。徐々に結果を出していった。そして3年生では、県大会で3位に入賞。初めて、自分の努力が報われたと感じた経験だった。
「結果というよりも、自分に自信が持てました。夢中になることの素晴らしさを学んだ3年間だったと思います」
フェンシングが大好きになっていた。高校卒業後も競技を続けることに、迷いはなかった。
ギャップに悩まされた大学時代
大学フェンシング部へやってきた野根を待ち受けていたのは、苦悩の日々だった。
スパルタな練習を重ねていた高校時代とは対照的に、大学は指導者がいなかった。部員が少なくて、強い人がいなくて、指導者もいない。練習が成り立たない日々が続いた。
高校時代に熱中してきた環境と、大学の環境のギャップに苦しむ。
同じような悩みで、他の部員もだんだんモチベーションを下げていった。5人もいた同期は徐々に辞めていき、部員が2人になった時期すらあった。もう自分の実力を伸ばすどころではない。
「なんでこんなの続けるんだろうと思いながら、いつ辞めるのかいつ辞めるのかって思いながら、毎日やっていました」。
それでも、フェンシングが好きな気持ちは変わらない。それに、大学で新しい種目を始めたことで、自分に伸びしろを感じていた。ここで諦めるわけにはいかない。もっと一生懸命フェンシングをやりたい。その気持ちが、野根を部活につなぎとめた。
「まともな部活にしたい」
主将就任時、野根はこう目標を設定した。当時、相変わらず人は少なく、3、4人だった。就活で来ない人を除くと、2人しか残らないことも。さらに、部員の仲も険悪だった。
まずは居心地のいい部活にしたい。最低限のコミュニケーションと、絆、友情を大切にすると決めた。
「ベスト8に入るとか、○○に出るとかっていうよりも、まず自分はこの立教大学フェンシング部っていう部活動を、まともな部活動…人が辞めない部活動ですね、一言で言えば。人が辞めなくて楽しく居られる部活動にして、そこからだなとは思いました」。
積極的にコミュニケーションをとったり、荷物を運んだり、練習前に自分が早く来たり、人一倍声を出したり、雰囲気を作ったり…。この場所をなるべく楽しく、良くするために、できることは全てやった。
その姿に後輩たちもついてきた。それまで退部者が途絶えなかったが、野根が主将になってからは辞める人がいなくなった。
これからのフェンシング部
現在の立大フェンシング部に、確かな変化を感じている。自分の実力を伸ばすための、「勝ち」を目指せる部活動にしていけるなと思った。今までの、とにかく人が辞めない、最低限の部活の集まりではなく、試合で勝つ。試合で結果を出していける部活動にしていけるという手ごたえを持っている。
野根は、後輩たちに望む。
「試合の結果とかではないですね。一生懸命やってほしいです。なんでもいいので。僕は途中でフェンシングやめてもいいと思ってます。彼らが本当にやめたいと思ったら。ただ何かやるなら、一生懸命やってほしいです。そこから学ぶものがあるので。徹底的にやるってところは崩さずに。中途半端にやることだけはしないで欲しいです」。
どんな時も競技への愛はぶれなかった。
ただ、悔やむ。
「こんな環境じゃなかったらもっと自分の実力を伸ばせたと思うと悲しい」。
野根のフェンシング人生は、幕を閉じた。
(3月14日・菅野真理香)