石川巧教授×川崎賢子教授対談全文

239号企画面記事と、番外編クローズアップ記事のもとになった対談の全容を掲載いたします。今回は、立大文学部の石川巧教授と川崎賢子教授をお招きし、「江戸川乱歩」をテーマに対談を行いました。

ーーー研究者のお二人からみた江戸川乱歩の魅力は

左から、怪人二十面相シリーズ2作目の『少年探偵団』・短編集『江戸川乱歩全集』・小説『蜘蛛男』

左から、怪人二十面相シリーズ2作目の『少年探偵団』・短編集『江戸川乱歩全集』・小説『蜘蛛男』

石川先生)
乱歩の魅力ですよね。基本的に僕の考えなんですけど、初期の10年間、いわゆる怪奇小説とか有名な短編小説を発表していた時期がもっとも油が乗り切っていたと思います。僕が乱歩が本当に素晴らしい作家だと思うのは、書けなくなった後のふるまい方ですね。1つは外国のミステリーの翻訳とか。他の作家たちにとても有益な活動をしたこと。それから探偵作家クラブを立ち上げて、探偵作家たちを組織化したこと。それから若手作家たちの育成のために様々な雑誌を作ったことなどで。あとは江戸川乱歩賞の創設もそうですけど、これ自費で作ってますから、書けなくなって特に池袋に住むようになってちょうどその時期からですけど、戦時中、書けなくなってからの乱歩のふるまい方というのが僕は素晴らしいかなと思っています。

川崎先生)
石川先生は初期の短編を高く評価しているようですが、私も初めはそうだったんですけれども、近年の若手の研究者の方達などが講談社のような大衆的な雑誌に、書き始めた長編の乱歩もそれなりに評価すべきではないかと仰っていました。
そういう目で再読すると、明智小五郎の初期から後期にかけての変容というのも中々面白いと思うようになりました。乱歩も何度か書けなくなったりしていますが、復活するたびに明智小五郎はなぜかモダンになっていきます。植民地帰りなどますます不思議なキャラクターになっていくんです。例えば、蜘蛛男でしたっけ?明智小五郎は植民地での様々な使命を終えて日本に帰ってきたら、まるでインドやアフリカなどの植民地で過ごしているイギリス紳士か、イギリスに移住して、そこで安楽に暮している植民地出身者のように変貌したという書き方がなされています。それは、戦争に向かう良いアジアを植民地化していった日本の文芸の中に現れた、探偵のキャラクターとして興味深いです。そういう一言がある作家だなと思っています。

ーーー明智小五郎によって江戸川乱歩がつまらなくなったと石川先生は以前仰っていましたが、具体的にどのような点がでしょうか

石川先生)
特に、初期の10年くらいの明智小五郎何ですけども、明智小五郎は探偵辞典なんですよ。色々な事件が起こると、それは誰々のこういう作品の中にこういうことが書かれてあったとか、そういうのを参照して、自分の頭やデータベースで事件を解決しちゃうんですね。それは非常にキャラクターとしては魅力があるんですけれども、その本当の小説のおどろおどろしさとか、恐怖や人間の心の闇とか、そう言ったものを表現する時に明智小五郎が出てくると途端に理解可能なものになってしまうと言いますか。パーッと世界が開けてしまうんですよね。そのことで、僕は乱歩の本当の良さがなくなっていくし、書けなくなっていく1つの要因ではないかという気がするんです。
特に戦後はメディアが乱歩作品に注目してラジオやテレビとか様々な媒体で乱歩の作品が放映される時に、明智小五郎というのがキャラクターとして魅力的ですから、そこで流通してしまったことが結果的に乱歩の収入は増えましたし、作品のトリックをいちいち考えてる暇はなくなったんだろうなというのが僕の理解です。川崎先生が仰ったように、明智小五郎がどんどん変容していくというのはとても面白い視点だと思います。それは僕の中に滑落している視点でしたね。ただもう一つ申し上げたいのは、やはりあの金田一京介との関わりが大きい気がするんですね。横溝正史が長編作品で戦後に成功していく中で、乱歩は焦ったと思うんです。その時に、長編に耐えれるキャラクターと言うんでしょうか。短編小説では非常にキレが良いんですけども、乱歩は、長編小説は書けなくて、いつも挫折してたんですけども、長編に耐えられるキャラクター作りということを戦後に(横溝正史は)一生懸命やっていったんだろうなという気がしますね。

川崎先生)
その意味ではもしかしたら明智小五郎が登場しない作品に、乱歩の文学としての傑作があるかもしれないとも思います。『孤島の鬼』とかは今海外からも注目されています。性のこととか、それこそおどろおどろしさですかね。それからその人間が具現で動物化する表象ですとか、その比喩とかそれは成功作ではないかもしれないですけど、非常にたくさんの可能性を持った、破れ目も多いけれども毒を持った、まだ生きているテクストではないかと思います。

石川先生)
本当にそう思います。僕たまたま昨日別のインタビューがあったんですけれども、そこでもお話ししたんですけど、乱歩の基本的な人間の描き方というのは心と身体が一致しない、例えば奇形であったり、性同一性障害に近い身体性であったり、そういった自分の心と体との間に何か溝や断絶があるような人物というのがたくさん出てくるんですね。その人間性というのが、僕は現代にもすごく通じるテーマだと思うんです。1つは性の問題、奇形や障害の問題もありますけれども、そういう人間というものをこう単に科学的に精神分析するだけではなくて、身体と内面とが合わない状況というのを小説の中に描いている気がします。

川崎先生)
皆さんも旧乱歩邸に足を踏み入れたことがおありかと思いますけども、大変な書籍のコレクターでもあって、書けなくなって、或いは書かなくって、或いは書くことを検閲などで抑圧されるようになった時代の乱歩というのは、読むことと集めること、考えることに大変力を注いだことが分かるんですよね。そして性に関わるコレクションがとても多いんですけれども、1つはヨーロッパやギリシャとかルネッサンスのものを、1つは日本の江戸徳川期のものを両輪で集めていらして、それでおそらく乱歩の心の中には、世界大戦で分断される時代にも過去の徳川期の様々な性というのものを表現したテクストを書いた人たちと、ギリシャ、ルネッサンスに生きたヨーロッパの人々とがどこかでリンクするというか、知的なネットワークとか美のネットワークとかそういうものを闇の土蔵の中で表現していった、構想していったのではないかなと思って、本当に人間の頭の中の巨大な宇宙ということを考えさせる、書かない時でも巨人であったなというふうに思わせる人だと思いますね

石川先生)
土蔵の話が出たのでその話に行きたいんですけど、池袋に住むまでは引越し魔でいろんなところを転々とするんです。池袋を終のすみかに選んだというか、そこから大きく動かなかった理由は、この土蔵が気に入ったからと言われております。乱歩にとっては知の集積であると共に、乱歩は頭の中で幻影城という言葉をよく使うんですけど、自分のイマジネーションを可視化する世界だったと思う。土蔵というか書庫が。土蔵が戦災で残ったというのが非常に大きいというか。隣組の防空団長みたいなことをしていて、火災をみんなで防いだ。乱歩の家と立教が残ったことで本が残って、戦後になってミステリーの文献がどこの図書館にもなかったので、多くの若手作家が乱歩の元に集まって本を借りに来たわけです。そのことが探偵作家クラブの誕生の1つの要因になった。この土蔵というのは戦後の日本のミステリーにとっては象徴的な存在なのではないかと思っている。

川崎先生)
そうですね。池袋というローカルのところに根を下ろして世界を見ているっていうのはとても重要なことだと思いますね。占領期、随分とあちこち歩いている。また歩き直しているというか。浅草に出没していたことは有名なんですけど、戦後占領期にはアメリカが集書したCIE図書館っていうものができて、そこに欧米のミステリーの新刊書が入っているかとかを見に行ったりして情報収集はすごかったですね。それから、一面闇の世界の上野公園のあたりにオカマとかいろんな人が集まっていると聞いて散歩に行っただとか、都市を歩くと言うことをかなりの年齢になってからもすすめていらしたことがわかっている。それも面白いですね。

石川先生)
乱歩に『わが町を知らず』というエッセイがございまして、乱歩は池袋のことを全然知らないって書くんですよ。それは池袋が好きなんじゃなくて土蔵があるこの街が好きだと言うことだと思う。だから、すごい面白いと思うのは、色々出かける時に池袋界隈はそれほど興味がないんですよ。やっぱり、浅草とか上野とかあちらの方にすぐに行ってしまう。

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