【軟式野球部】天性の主将が秘める闘志 内山優

あらゆる環境でリーダーを務めてきた。19年度主将・内山優(営4)は小学校、中学校、高校時代と軟式野球部で主将を務め、大学の部活やゼミでも主将やゼミ長を務めてきた。集大成として就任した立大軟式野球部の主将では初めての挫折を味わった。結果が出ずに苦しい時期が多かったが、苦しみから得た学びは多かった。

ほぼ軟式一筋

内山が生まれて初めて手にしたボールは硬式だった。父親や兄の影響で4歳の時、当時住んでいたカナダで野球を始めた。小学校の時、日本に帰国してからは軟式一筋の人生が始まる。転機は中学受験だった。硬式野球の強豪校に進んで甲子園をめざすビジョンもあったが、不合格。硬式野球部が存在しない茗渓学園中・高に進学した。全国的に強豪で知られる軟式野球部に入部し、高校では主将を務め、3年次に関東優勝を果たした。10年以上競技を続ける中で軟式野球の魅力にのめり込み、立大進学後も部活でプレーする道を選んだ。

帰国以来、大学まで軟式一筋

主将の後悔

主に2年次から一塁手として出場機会を得た。守備や走塁に力を入れてきたと語るが、本塁打も記録した。3年次から主将を務めた。「小さい頃から先頭に立つようなタイプの人間だった」。内山は小中高と全ての環境で主将を経験していた。大学で主将を決める際も率先して立候補し、周りも後押しした。

3年間で最も印象に残る瞬間がある。2年秋に主将として臨んだ新人戦優勝。「スポーツをやっている以上、優勝が一番嬉しい」。一つ上の世代が引退して、新チームとして走り出した矢先に成し遂げた成果だった。チームが一つになり、リーグ戦に向けた手応えを感じた。しかし、このまま春リーグでも上手く行くのではないかという甘えがあったと内山は振り返る。翌年の春リーグでは開幕から6連敗を喫し、最下位という結果に終わった。野球人生で初めて味わう屈辱であり、挫折だった。続く秋リーグでも思うような結果を残せず、2季連続で最下位に沈んだ。「個の繋がりより練習メニューやルールなど組織体制を重視しすぎた」。主将として、部員との関わりやコミュニケーションが少なかったという反省があったと今では振り返る。硬式野球に比べて、得点が入りにくく1点の駆け引きが勝敗を握る軟式野球において「個の繋がり」が重要であると内山は考える。繋がりの強さが大事。「軟式は本塁打が出にくいスポーツ。いかに守備や走塁を生かして1点を取って守り切るか。主将として、自分本位ではなくて部員一人一人の繋がりの強さを意識して行動した」。個を重視するも結果が出ない悔しい日々が続いていた。

2年秋には初本塁打を記録した

 

主将として挨拶する内山

成長

悔しい中で成長することができたと振り返る。自前のグラウンドを持たない軟式野球部では、部員それぞれがお金を出し合い公共のグラウンドで練習している。今まで学校にグラウンドがあるのが当たり前だったからこそ、施設や設備へのありがたみを感じ、感謝の気持ちが生まれた。失敗から学ぶ収穫もあった。「今後は過去の栄光に囚われず、目の前の物事に集中したい」。新人戦優勝からの春リーグ最下位という過去から得た教訓を胸に社会人として飛躍することを誓った。

野球の楽しさ

苦しい中で励みになったのは仲間達の存在だった。「他大学に比べて楽しみながらプレーしている環境」。内山が語るように、チャンスやピンチの場面ではベンチから大きな声が飛び出し試合を盛り上げる。「5年後、10年後にまた皆で集まって思い出話にしたい」。最高に野球を楽しくできたと振り返る環境にも感謝した。

また、次期主将を務める佐塚(法2)は高校時代でもチームメイトだった。それだけに信頼は厚く寄せる。「めちゃくちゃ熱い選手。同期や先輩後輩に関わらず、自分の思いをぶつけて駆り立ててくれる選手。茗渓の時のまま、立教でも頑張ってほしい」とエールを送る。

現役最後の打席で安打を放ち、ベンチにピース

 

(3月29日 渡邊大樹)

※掲載が大幅に遅れましたことをお詫び申し上げます。

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