【野球部】「大切なことは後悔しないこと」オリックスのサブマリン中川颯の軌跡と夢の叶え方―②投手としての歩んだ棘の道
投法の変更で出会ったアンダースロー。中学生からは本格的に投手として活躍する日を目指した。しかし、シニア時代は主に遊撃手として活躍。高校3年生ではエース投手・4番打者の2刀流として活躍するも、スカウトからは打者としての評価が高かった。それでも彼は自身が選択した投手としての道をこだわり続けた。
栄光と続いた苦悩
大学入学後、中川は春季リーグから抑えとして神宮デビューを果たした。最終回やピンチの場面など重要な局面を任され、三振を積み重ねる。持ち前の強心臓と投球術で立大の守護神として活躍し、18年ぶりのリーグ優勝。59年ぶりの日本一に貢献した。「高校生の時は打者として活躍していたイメージが強かったが、試合を見て、大学1年生からようやく投手として活躍てきたなと感じた」と父も評価した。
しかし、その後は苦悩の連続。活躍した分、相手チームから容赦ない研究が続く。オープン戦では調子の良さを自覚しながらもリーグ戦では打たれ、四球が続き、失点。悪循環が続いた。2年生では再起を誓い、防御率0点台を目標に取り組むも最終防御率は6点台。ブルペンでは何度も首をかしげながらフォームを見直す彼の姿が見えた。時には不調続きの毎日で自分自身のフォームさえも見失うこともあった。
模索を続けた大学野球―試行錯誤で引き出し増やす
試行錯誤の中、多角的視点から自分自身を見つめなおした。3年生のリーグ戦前には高校以来の2刀流に挑戦。打席に立ちながら「自分ならどんな投球で追い込むか…」とバッター目線で自分自身の投球を見直した。うまくいかない投球が続けば、「今どんな状況か」と身体の具合や気持ちの状態を客観的に見直すメタ認知で自分自身の状況を整理した。「大学野球では失敗ばかり。でも、大きく成長できた」。試行錯誤の中でピンチを抜け出す投球術と不調から回復するための修正力を手に入れた。
大学生活最後のリーグ戦。開幕前は身体作りから投球フォームに至るまで、作り直し、万全の自信と共に挑んだ。秋季リーグは8試合に登板し、2勝2敗防御率3.14。リーグ戦前半は不安定な投球であったが、後半からは緩急を意識した投球術で持ち直した。「勝ちに繋がらず、エースとしては赤点。でも、不調ながら後半から立て直し、怪我無く何とか投げ切ることが出来た」。長い不調の中で苦しんだが、最後には自分自身の中で及第点、納得のいく投球が出来るまでに這い上がることが出来た。
そして迎えたドラフト会議。緊張して見守る中、オリックス・バファローズから4位指名を受けた。「プレッシャーから解放された感じでした。とにかくほっとした」。指名後、連絡したのは父・貴成さん。電話越しに涙を流す父につられ、自身も涙を流した。
(1月25日/山口史泰)