【陸上競技部】「0の状態から1に」変革の男子駅伝チームを支えた立役者~男子駅伝チームクローズアップ企画①~
男子駅伝チームクローズアップ企画第1弾として、主務・早田光佑(わさだこうすけ・コ4=小林高)にフォーカスを当てる。マネジャーになるまでの経緯や、「立教箱根駅伝2024」事業始動にともなう変化について、お話を伺った。
選手からマネジャーに。
―大学2年生でマネジャーに転身
高校3年時にマネジャーをやっていたのもあって、選手からマネジャーになる抵抗は少なかった。大学2年生の12月から上野監督が来て、スタッフとして林英明さん(01年卒=現・男子駅伝コーチ)と原田昭夫さん(80年卒=現・長距離総監督)がいらっしゃったけど、実質的な指導者は上野監督1人しかいないから、学生の中でチームをバックアップできる人が必要だという話を原田さんから言われていた。
―中学時代は全国中学生陸上競技大会にも出場していた
中学1年生の時の全国高校駅伝を見て、宮崎・小林高校に行きたいと思って。それを親に言ったら、「強い学校だから最低でも全国出場できるくらいじゃないと入れてもらえないぞ」という話をされた。それで中学2年生から部活以外に自主練をやり始めた。今考えると練習やり過ぎだったのだけど、やっただけ伸びるから20キロとか走ったりしていたこともあって。たまたま怪我しなくてトントンとタイムが伸びて、結果的に3000㍍で全国に行った。高校に入った時は持ちタイムが学年の中では一番だったから期待はしてもらっていたけれど、急に練習量と質が上がって、怪我が増えてしまった。結局、高校1年生の時の夏合宿後に走った初の5000㍍がいまだに自己ベスト。高校入っても怪我で中々結果が出せず、良くも悪くも思い出。
―高校時代、怪我をしてマネジャーをやることになった時の心境は
今でも覚えている。高校2年生の2月くらい、新チームになるという段階で練習中に監督に呼ばれた。選択権は与えてくれたんだけど「マネジャーやらんか」と急に言われて。今考えると俺のことを考えてくれていて、ありがたいことだったんだけど、「なんだ戦力外かと」当時は少し思っていたかな。正直その時も脚を痛めていてキツイ時期だったから。最初はプレイングマネジャーという形でやってみないかと言われて始めた。100%サポートにまわろうというより、どっちかというとチームのためになりつつ自分も走る形でいい形になればいいなという感じだった。
上野監督の存在。
―大学2年生の12月に上野監督が就任することになった当時の心境は
俺からしたら中学生の時、上野監督は県の代表としても走っていたこともあって、テレビの中の人、雑誌の中の人が来るのかと思った。最初は憧れていた人が来るんだと漠然とした形で、不安とかはなかった。
―今思う上野監督の存在は
監督はよくあそこまでこき使ってくれたなと思う(笑)。こう言う言い方は少し変だけど、特に自分を頼ってくれてるというのは感じていた。それこそ色々な場所行って強豪高校の監督とかいろんな大人に紹介してもらえたのはありがたかった。あそこまでこき使ってもらったことで成長できたこともあるし、感謝しかないです。
―「陸上部」の主務から「男子駅伝チーム」の主務として変わっていった
2年生の時は陸上部の副務というポジションで、2年生で副務やった人が3年生の関東インカレのタイミングで主務になるというのが流れだったから、陸上部全体の主務になるのは元々わかっていた。原田さんがずっと言っていたこともあったから、3年生の年始の時に上野監督に「駅伝主務やります」ということを言いにいって。大変だったのは駅伝チームの主務を引き受けて、これから独立するような流れで行こうとなってからの2ヶ月くらい。周りは岳さん(松浦=20年卒)たちの代で、主将とか主務とかは先輩だから提案しづらかったりして。幹部ミーティング内でも毎回のように揉めていた。短距離のみんなも、長距離が独立するんだろうなという雰囲気は作ってもらって、自分が全体の主務になった時に飯嶋(済4)とか藤岡(異4)とか松本(観4)とか同期が協力的だった。そうなってからはすんなり、議論はあったけど周囲が協力してくれた。
「0から1に」。男子駅伝チームを築く。
―駅伝チームの主務で一番苦労したのは
最初の駅伝主務という状態だったから「0の状態から1にしないといけない大変さ」。例えば、寮の規則を作ったり、長距離男子用のホームページを作ったりとか。お金の話になると陸上部全体の口座と別で長距離男子用の口座を作ったり。一人で全てやるのが一番苦労した。
―一人暮らしということもあって自分の時間もなかったのでは?
自分の時間はほとんどなかったかな。初期は監督の信頼を得ることが第一だったから、自分の力で監督の要望には応えようとしていた。監督の要望にはノーと言わないと決めて活動してて。だから、最初に苦労したのは主務独立の話で、一番苦労したのは0の組織から1を作るのが大変だったかな。
―苦労を乗り越えた原動力
こういう質問の回答として正解は「箱根駅伝に将来出るために」とかそういうことだと思うんだけど、正直その時はそれを考える余裕もなかったな。高校の話に戻るけど、その時もマネジャーだから厳しくご指導していただける環境で、ある意味ではそういうところで鍛えられていたところもあった。何かのためにというより、やる人が自分しかいなかったからやらなきゃという方が大きかったかもしれない。
―今の1年生はスポーツ推薦。上級生と下級生のギャップで苦労は
増田さん(20年卒)たちの代は既存のメンバーでって感じで、チームの土台を作ってくれたのはあの人たちの代だった。俺たちはどちらかというとスカウトしてきた1年生が入ることが大前提で、温度差というか部内での差が生まれないようにしないといけないという話はしていた。実際、1年生は素直でいい子たちばかりで苦労しなかったんだけど。特に増井(営4)とか須藤(文4)とかいい意味で、例えば寮のトイレ掃除するにも1年生の仕事ってわけではなくて、1年生から4年生まで一緒にやろうと呼びかけてくれて上下差が生まれないようにしてたら、みんながフラットになっていった。
―ブログに「気づく力」と「築く力」と綴っていたが
これも高校生の時の監督に言われてきたことなんだけど、当時は「気づく」、「築く」と言われても何のことかさっぱりという感じだった(笑)。でも駅伝主務になって、あの時の「気づく」「築く」はこういうことだんだと初めて身をもって体験した。例えば、男子長距離のホームページ作るのは自分から提案したんだけど、ホームページはもともと陸上部の既存のものがあって新しく作る必要はなかったんだけど、校友会から寄付もらってやっているということもあって新設することにした。1個アイディアが生まれても行動に移して実現するのって大変なことだから、そういう意味ではあの時高校の監督が言っていた「気づく」、「築く」というのはこういうことだったんだなと身をもって体感した。
―ホームページを作ったり、1人でやっていく行動力について
正直、ワードとかエクセルとかろくに触れなかったという状態で。自分の中では大変なことだけど、0から1を作っていく楽しさを自分の中で見いだせていた時期で、もしこれが上手くできたら自分の中で成長できるなと感じていた。
主務・マネジャーに必要な「気づく力」と「築く力」
―理想の主務像、マネジャー像
さっきの「気づく」と「築く」の話に戻るけれど、主務はこの2つの力がないと務まらないなと思う。自分の現状も、チームの現状も、多角的な視点をもって「気づく」力と、そこの気づきをいかにして形にして「築く」かの力が主務には必要かな。自分にそれできていたかというと、ちょいちょい抜けていたり、もうちょっとできたなとも思うし。最後1年間はコロナで動けなかったんだけど、本当は大人向けの陸上教室とかをやりたかった。だから、そこはちょっと後悔で、自分の中では70、80点。
―後輩マネジャーに向けて
そんな偉そうなこと言える立場じゃないけど(笑)。例えば、青学大とか駒澤大とかは監督のほかに大人のコーチがいて。他大では大人がやるような仕事を今の立大はマネジャーが分担してやっている運営体制だから、正直めちゃくちゃ大変だけど将来為になることやっていると思う。連絡くれればご飯行くから頑張ってほしい(笑)。今の2年生の代が4年生になる頃には、いよいよ箱根駅伝が見えていると思う。箱根出られた時の達成感はすごいと思うし、それは俺は味わえないことだから、そこに向けて頑張って欲しいという気持ちです。
最後に箱根に携わる。
―学連選抜に選ばれた中山選手(コ1)や学連の仕事について
チームとして箱根に携わることはできなかったけど、中山は走る可能性が高いから「頼むから風邪とか怪我するなよ」と話している。ちょっとだけ、やってきたこと報われたように感じています。当日の流れや前日の流れを見てるとこんな感じなんだと知ることができたし、最後の最後で関われるのはいいことだし、中山にはごっつあんですという感じ(笑)。中山以外にも部員30人以上いるから、上野監督が「お前には学連のことは任せた」と言ってくれて。そういう意味では監督も色々知りたいのに全部やらせてくれるのは感謝。今は変なプレッシャーなく楽しめているかな。
―中山選手に向けて
もし走ることになればスタート前に付き添いするから、限られた人しか入れない場に入れてもらえたというのでありがとうという気持ち。2日か3日かわからないけど走った後に、寮内解散期間だから年末年始はご飯でないから食いたがっていた美味しい寿司食べに行こうと話しているから、それで頑張って(笑)。1年生だし楽しんで走って欲しいなと思う。
◆早田光佑(わさだ・こうすけ) コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科4年。1998年4月10日生まれ。福岡県出身。165㌢。A型。趣味は筋トレ。お気に入りの選手は中山凛斗と峯本幸樹(コ1)。
※インタビューはオンライン上で行いました。
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【男子駅伝クローズアップ企画】
(12月30日・小松勇斗)