【合気道部】大学での新たな挑戦、そして今後の思い

新型コロナウイルスの影響で制約されていた練習も8月から再開。半年ぶりの練習の雰囲気を聞いてみると「ただお久しぶりっていう感じでしたね、みんな元気で大丈夫だったけど体が鈍ってました」と苦笑いを浮かべた。活動ができなかった分、基本動作から復習を行い少しずつ元の合気道部に戻していく。

誰も予想しなかった事態の中、合気道部をけん引しているのが主将・中村(済4)。彼と合気道の関係を探ってみた。

抱きしめる滝島利き手ではない左手で攻撃の姿勢をとる中村【提供・合気道部】

大学生活スタート、「せっかくなら…」

彼は幼いころから父親の影響もあり、球技をやってきた。そのまま中学はバスケ、高校はアメフトと幅広いジャンルに取り組む。そんな彼に毛色の違う武道に進んだ理由を聞くと、
「小さいころから武道には興味があったんです」。大学入学がいい機会となり「環境ががらっと変わるからせっかくなら新しく武道をしよう」と見学に足を運んだ。様々な武道の動画を見て、明らかに異質で面白かった合気道部の新歓に行くと、先輩たちとも息が合い二つ返事で入部を決めた。

初めての競技で苦労したことを聞くと、それは一年の後期に起きたと答えた。

始めたころはどんどん技を覚えることが楽しいと感じ、なにより体力にも自信があった。しかし、新人戦決勝で同期に負けてから全く勝てなくなる。自己分析をして、原因を考えた結果、今まで自分の身体能力で勝つことができていたと判明。地道に合気道の技術を鍛えていた同期たちと比べて、中村は今までの動きで代用していたため敵わなくなってしまった。「やらかした」と感じ、それから再スタート。基本の技術から立ち返ることにした。今までのことも生かしたいと考え、独自のトレーニング方法を始める。基礎を振り返る中で、利き手とは逆である左手が軽いことに気付いた。以来、左手で戦うようになる。悔しい思いをした一年後の新人戦。驚いたことに一年前に戦った同期との再戦となった。中村にとってのリベンジ戦は拮抗し、前代未聞のサドンデス。合気道は判定によって勝敗が決まるが見事に割れた。周囲の観客も驚いた声をあげるが、彼自身も経験したことがなく冷や汗が止まらない。しかし見事先制し中村はリベンジを果たすことができた。

主将・中村敦志
三年になり、主将を決める時期になった。
ー主将になると決まったのは?
正式な通達をいただいたのは、先輩方が引退される2、3カ月前です。ただ先輩方と親しかったのもありそのような雰囲気は感じてました(笑)。
合気道部は代々先輩からの指名によって主将を決める。中村は「自分自身もリーダーを務める経験自体あまりなかったのでこれも経験の一つだと思い受け入れさせてもらった」。
主将になってからは、先輩方から受け継いだものを確実に繋いでいくことを意識。もちろん前の戦績を上回ることも含まれていた。
ープレッシャーは感じなかった?
できるのかというプレッシャーはずっとあったが、最後の引退試合となる大会もコロナの影響で開催されるか分からず…。でも同時に先輩を追い抜こうというモチベーションもありました。
ー後輩に向けての思いは?
とにかく合気道を楽しんでほしい。下の代は雰囲気がとてもいいので、戦績を残すことも、強くなることも楽しんでほしい。精一杯のびのびとやってくれると私は満足です。
笑顔で後輩への思いを話してくれた。
主将としての仕事は10月で後輩に引き継ぐことになるが、まだ合気道は続けるという。
ー今後目指していく選手像は?
合気道はもちろん続けるが、ほかにも興味のある武道、格闘技はたくさんあって。合気道はしっかり極めて、色んな武道武術を取り入れながら「あいつなんでもやるな!」ってタイプの今までにない選手、一を極めるっていうよりはなんでもやる選手になるのが理想像です。

立教大学で選んだのは合気道であったが、できるなら全部やりたかった中村。今までにない選手が立大から現れるかもしれないと思うと今後も目が離せない。

(9月13日 河野なつみ)

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