【ホッケー部男子】4年生卒業記念 「男磨き」 主将・福田博之
主将はツライよ
主将・福田(法4)にとって学生生活最後の1年は辛いことが10割だったと振り返る。主将としてチームをまとめることは難しく、常に悩みのタネだった。常に主将はみられている。その意識から福田は皆より積極的なプレーを心がけたり、私生活でも自覚を持って言動一つ一つに気を配って過ごしてきた。次第にその意識は大きく重圧となり、福田を苦しめた。試合前にプレッシャーから嘔吐することも少なくなかった。高校時代にゴルフ部の部長経験があった福田だったが、同じ主将でも仕事量と重圧は比にならない。「受け持つ責任の大きさと個人競技なのかチームスポーツなのかという違いが難しかった」。個人競技のゴルフと異なり、ホッケーは11人で行うチームスポーツ。勝つためには組織力も必要だ。高校の部活なら問題が起きても顧問の先生が解決してくれることが多い。大学スポーツは学生が主体となって運営する。大学の首相は対戦校やOBへの連絡が必要だったり、何か問題が起きた際はそれを解決したり、責任を問われるポジションだった。「2部優勝・1部昇格」を掲げて臨んだ1年間だったが、春季は2位、秋季は4位となかなか思うような結果を残せなかった。「なんで勝てないんだろう」。試合後にスタンドで物思いにふけることもあった。辛い一方で気付きもあった。他人のモチベーションとか人との関わり方など、高校ゴルフ部主将時代とは別の収穫を得た。
相棒であり恩人
福田と共にチームに貢献してきた森川(済4)とは10年以来の付き合いがある。中高時代はゴルフ部、大学時代はホッケー部で共にプレーしていた。「ずっと目標になっていた人」。福田から見た中学当時の森川に対する印象だった。中学入学と同時にゴルフを始めた福田に比べて、森川は小学生の頃からプレーしていたこともあり、実力の差は大きく開いていた。とにかく追いつきたくてしょうがない存在だった。高校を経て2人は立大に進学。当然ゴルフ部への入部も考えたが、新歓でたまたま見つけた居心地のいいホッケー部を森川に強く勧めた。一緒にやろうと誘った。「お前が入るなら入る。入らないなら入らない」。半ば強引に勧誘し、2人で入部した。同じスタートラインから競技を始めたため、中高時のような実力差は無く、互いに切磋琢磨できる関係に変わっていった。月日が経つにつれ、互いの実力も向上しフィールドにいるだけで信頼できるような関係にもなっていった。福田が主将に就くと悩みや話などを森川に打ち明けていた。「森川がいなかったらホッケーやってなかったし、主将という貴重な経験もできなかったから感謝している」。森川があっての主将・福田だった。
環境を変える
入部した当時は部の雰囲気に馴染めなかった。幼稚園、小学校、中学校、高校と全ての環境を立教学院で過ごしてきた内部生の福田にとって、テンションやノリの合わない相手と週に5、6回も会わなきゃいけないという苦痛に近い認識だった。退部も考えるほど当時の福田にとっては深刻な問題だった。悩める福田に先輩からの一言が突き刺さる。「環境を自分から変えてみな」。アドバイスを受け取った福田は積極的に同期とコミュニケーションを取り、言葉通り環境を変えた。「いざとなったら本当に頼れる存在だと自信を持って言える」。4年経った今では福田にとってかけがえのない存在になっていった。
男磨き
「ホッケーを一言で表すならば?」という問いに福田は「男磨き」と答えた。「物事に対して全力で取り組む姿は、その人がちゃんと何かを感じて何かを考えて物事に取り組まないと男の色気が出てこないというか、人間性の向上はない。そういう意味ではいい男にさせてもらったなと思う。4年間のことは自信になっている。他の人ではなかなかできないだろうし。体育会全員含めて出会った人たち全員が財産だから、今後の社会人になっても欠かせない」。部に馴染めず辞めようと思っていた福田も、4年間駆け抜けた。福田を含めた10人の同期は1人も欠くことなく4年間共にプレーすることができた。4年間で出会った最高の同期や先輩後輩など、沢山の財産を抱えて福田は男磨きを続ける。
(3月31日 渡邊大樹)