【ボート部】「皆の当たり前はすごいこと。ありのままで大丈夫なんだ」 走り抜けた最終年 競技歴10年目に見えた景色
昨年9月5日から8日にかけて開催された第46回全日本大学選手権大会。土方(コ4)、内山(コ4)、五十嵐い(法1)、篠原(理2)、コックス・北原(文1)の5名で構成される女子舵手付きフォアは初日のレースで4位となり、2日目の敗者復活戦に回った。
怪我の影響で5月の全日本選手権大会に出場できなかった内山にとっては、約半年ぶりの公式戦。思うようにプレーできなかった時期に溜め込んだフラストレーションと、競技歴10年の集大成という2つの要素は、内山の闘志に火をつけるには充分なものだった。「最後は結果にこだわりたい」。大会前のインタビューで、彼女は語気を強めてそう語った。
しかし、無情にも勝利の女神が彼女に微笑むことはなかった。残り500㍍から驚異的な追い上げを見せたものの、力及ばず4位。すべての力を出し切った内山は艇上で仰向けに倒れ、空虚に広がる夏の青空を見上げた。圧倒的な疲労感に息が乱れる。「ああ、終わったんだ」。全身全霊で2000㍍を漕ぎ切ったが故、ゴール直後は悔しさを感じる余裕すらなかった。そこにはただ結果という現実があるだけだった。
10年もの間ボート競技の世界で戦い続けてきた内山。その集大成であるこの年、彼女を最も苦しめたのは自分自身だった。「選手として強くならないといけないんですけど自分の弱い部分と向き合って、受け止めて進むっていうのがすごく苦しかった」。怪我をしたことで、女子エイトが創部初優勝を成し遂げた5月の全日本選手権大会への出場は叶わず。周囲が努力し確実に進化している状況の中、立ち止まったままの自分を「恥ずかしい」とさえ感じることもあった。
衝動的に脱走しかけたこともある。ある日の練習後、自分の現在地に嫌気がさした内山は寮を飛び出し、ひたすら川沿いを疾走した。逃げたところで何も変わらないことは分かっている。それでも、「10年続けてしまうくらいには好きなボートを捨ててしまう時があった」。当時について、本人はブログで「一人青春劇場だった」と綴っている。その後脱走劇に幕を下ろすことになったのは、その劇の出演者が自分だけではないと気付いたからだった.
ボート競技は“究極の団体スポーツ”と呼ばれている。艇の速度を上げるためには、クル―全員が寸分の狂いなく息を合わせてオールを漕がなくてはならない。大会までの間、選手たちは真摯にボートと向き合い、本音をぶつけ合うことで艇のクオリティを高めていく。途中で1人でも欠けてしまえば、積み上げてきたものは一気に崩壊してしまう。「私がいなかったらクルー組めない」。限界まで追い込まれていた彼女だったが、仲間のためなら歯を食いしばれた。
そのような精神状態の変遷を通して、内山の考え方にも変化が訪れていった。中学高校と高い成績を収めてきた内山。その頃は上手くいかない他のチームメイトに対して「なんで頑張り切れないんだろう」という気持ちを抱いていた。しかし大学で壁にぶつかり苦しい状況を味わったことで、初めてその気持ちを理解することができた。「いつも調子が良い選手ってなかなかいなくて、皆自分に厳しいからすぐに『ダメだダメだ』って自分を追い込んじゃうんですけど、皆が当たり前だと思っていることはすごいことなんだよ、と。ありのままで大丈夫だよって、人の気持ちに寄り添えるようになった」。意味のない努力など存在しない。どん底を経験した彼女だからこその言葉だった。
ボート部での時間は、“戦友”という名の宝物をもたらした。4年間同じ屋根の下で暮らし、辛いことも楽しいことも共に経験してきた同期。「大人になっても集まれる関係でいたい」と内山は優しく微笑む。また、唯一今後も競技を続ける女子部主将の角谷(コ4)については「世界のKADOYAが見たいです。その姿を他の皆と見に行きたい」と期待に胸を弾ませた。世界の舞台で戦う部のエースと、“戦友”を必死に応援する仲間たち。そんな光景が見られる日もそう遠くはないかもしれない。そしてそこにいるのは大学時代と変わらない、仲間のために本気になれる彼女たちなのではないだろうか。
(3月18日・合田拓斗)
大会後のインタビューで今感謝したい人を尋ねてみると、涙ぐみながら「両親です」と回答。声を詰まらせながらも、彼女は両親への思いを次のように話してくれた。「忙しくて1回も見に来てもらうことができなかったんですけど、お金も出してもらってるし、送り出してくれたからこそ良い結果を残して、結果で返したいなって私は思っていました。来ることはできなくてもLINEとかで報告とか話とか聞いてくれて、感謝…、1番したいなと思います」