【スケート部スピード部門】渡邉瑠が昨季限りでの引退を表明…五輪目指すも、将来を見据え決断「未練はない」
インカレ4連覇やユニバーシアード5位入賞などの戦績を残し、立教スポーツ1面を2回も飾ったスケート部スピード部門の渡邉瑠(済4)が、今年3月のジャパントロフィーを最後に、競技から引退したことを表明した。すでに就職活動を終え、卒業後は大手自動車メーカーで働くことも決まっている。小学4年でショートトラックを始めてからの夢である五輪出場にあと一歩としながらも、引退を決意した理由とはーー。
背景には先輩の引退とスケート愛を失ったこと
スケート界のミライモンスターが、ひっそりとリンクから去った。判明したのは今年の6月。LINEで近況を尋ねると、「3月でスケートを引退して、就活してました。今は特になんにもしてないっす」と返事があった。
引退を決断したのは、シーズン最終戦のジャパントロフィー(3月9日、10日)の直後だった。自分自身と向き合った末の結果であり、伝えたのは家族やスケートの先輩、友人など、わずかな近親者だけ。「静かに辞めるのがかっこいい」という美学があったからだという。
なぜ辞めたのか。最も気になる質問に、理由をこう答えた。「いくつかあるけど、1番大きいのは、坂爪亮介さん(現トヨタ自動車スケート部コーチ)が引退したこと」。坂爪とは、平昌五輪ショートトラック競技の男子1000メートルで5位入賞を果たすなど、日本ショートトラック界のエースとして活躍し、18年3月に引退した元スケーター。「昔からお世話になっていたから思い入れが強くて。身近な選手が、強いのに引退したことを間近で見ちゃったからね。18年3月、韓国に練習しに行ったときに、たまたま坂爪さんも来ていて話を聞いた」。
その時、世界で活躍する選手であっても競技を続けて生活をしていくことが難しい、というウィンタースポーツの限界を肌で痛感した。長い人生を考えた時に、大学で引退して就職した方が良い、という現実的な判断に至ったということだ。
人生で初めてスケートが楽しいと感じなくなったことも、影響しているという。要因として、昨季のナショナルチームでの練習環境に適応できなかったことを挙げた。17年シーズンは休学して韓国に渡り、ジェモクコーチという何人ものメダリストを輩出している名コーチに師事。与えられた厳しいメニューをこなすだけで実力が上がり、五輪出場は逃したものの全日本選手権の1500メートルで、自身初の決勝に進出するなど、階段を上っていたのは確かだった。しかし、昨季のナショナルチームの練習では、各自の調整が重視された。韓国との違いに適応できず、自分で考える練習が上手くいかなかった。
結果的に昨季は、全日本距離別で惨敗に終わり、目標としていたW杯のメンバー入りを逃した。その後もユニバーシアード代表にすら入ることができなかった。世界で活躍することを目標としていた渡邉にとって、インカレ1000メートルで4連覇を成し遂げたことは当たり前の結果であり、「良くないシーズン」と即答した。
「普段の練習が楽しくなくなったんだよね。実は、結果が出ないことは楽しくないにつながらない。結果が出た方が楽しいしやりがいにつながるんだけど、これまでを振り返ると、結果が出ない方が多かったし。つまり、結果が出なくても練習すれば上手くなるけど、結果が出ない、練習も楽しくないとモチベーションにつながらない。自分で考える練習も見出しかけてはいたんだけど、見出しきることができなくて、目の前に就活があった」。
ミライモンスターから普通の大学生に
引退試合となったジャパントロフィーの帰りの新幹線で、早速就活サイトに登録し、ESに手を付けた。その4日後にはリクルートスーツを身にまとい、同い年と1年遅れた就活が始まった。毎日のように3社ほど行脚し、幅広い興味からエントリーは50社以上に及んだ。選考では、集団面接で「スケートの子は?」と名指しされるぐらい目立つ存在だった。「スケート場まで父親が自家用車で送迎してくれたことで、コミュニケーションの場になっていた」という志望理由で自動車メーカーを受けたところ、6月、大手自動車メーカーから内定をもらい、就職活動を終えた。
現在は、学校と遊びを両立する“普通の大学生”のような日々を過ごしている。「気兼ねなく飲みにいけるのがいい」と、白い歯を見せて言う。6歳でローラースケートを始めて以来、競技に全てを捧げてきたからこそ、時間を取り戻している感覚だ。卒業までに、スマホのメモに貯めている「やりたいことリスト」を消化することに胸を躍らせている。
スケートへの未練を尋ねると、数秒悩んでからこう話した。「とりあえず今のところは無い。スケートに戻りたいとかもないし。就活は辛かったけど、死ぬほど楽しかった。今までスケートしかしてこなかったから世の中の事なんも知らなくて、インターンとかバイトもしたことないし、いろんな人と話して、仕事面白そうやなって。前にも、大学で開催されたAIのセミナーとかも行っちゃって、チョーおもろかったよ」。
母親に引退を告げた際、「スケートだけが人生じゃない」と言われた。まだ見ぬ世界に目を輝かせる23歳は、リンクを飛び出しても、最高速度で人生の道を駆け抜ける。
【番記者が見た渡邉引退】
兆候はあった。引退を示唆した瞬間をはっきりと覚えている。
ちょうど1年前、野辺山・帝産アイススケートトレーニングセンターで行われた、全日本距離別1日目。W杯出場へ向けた大事な試合で、500メートル、1500メートルともに17位と振るわず、出場が絶望的になった。試合後、感情を察しながらもリンクの外で渡邉に話しかけると、思いもよらぬ返答に私は耳を疑った。
「もう終わりかもしれない。最近楽しくないんだよね」。就職を視野に入れていることも打ち明けられた。ちょうど就職活動の最中だった私にとって、よりリアルな話だった。ただ、惨敗直後のインタビューで、結果が出ないことに対しての「楽しくない」だと思っていたため、本心では、引退するとは思っていなかった。五輪での取材を夢見ていたこともあり、信じたくないという感情が混在していたのかもしれない。
19年1月の全日本選手権を最後に取材に行くことはできず、結果的に引退試合となった3月のジャパントロフィーは、ネットで結果を確認しただけだった。どこかで彼の決断を気にしていた中で、6月、近況を知りたくなりLINEをした。帰ってきたのは、引退の報告。やはり、ショックだった。広島で遠いから…とジャパントロフィーの取材に行かなかった自分の判断に、今では後悔しかない。
(10月14日・16年度~18年度スケート部スピード部門担当=浅野光青)
◆渡邉瑠(わたなべ・りゅう)◆
▼生まれ、身体:1996年7月21日生まれ。東京都練馬区出身。174センチ
▼血液型:AB型
▼学校:練馬区北町小学校から受験し、中高一貫の私立成城中・高へ。2015年、アスリート選抜入試で立教大学に入学した。現在は経済学部経済学科4年
▼スケート歴:競技を始めたのは6歳。高校でスケート部だった父・和徳さんの影響により、ローラースケートを始めた。アジア大会などにも出場するほどだったが、小学4年の時に、練習の一環で取り入れていたショートトラックに本格転向した。本人曰く、キャリアハイは17年全日本距離別の3000メートル2位
▼趣味:ラップとシューズ集め
▼好きなお酒:ホッピー。理由は、「手っ取り早く酔っぱらえるのと、しょっぱいおつまみが好きで、それに合うのが苦い黒ホッピーだから(笑)」