227号
立教スポーツ第227号
6月6日更新
【柔道部】豊田あみなパキスタン大会優勝で世界選手権へ!パキスタン代表で目指せ東京五輪
パキスタンで行われた国内最大級の大会で豊田あみな(コ2)が優勝! 5年ぶりに手にした金メダルは世界選手権への切符となった。若きプリンセスは高2でパキスタン代表に選出された経歴を持つ。しかし、自身初となる国内王者への道のりは簡単なものではなかった。幾多の怪我を乗り越え、次なる目標は東京五輪出場だ!
一国を担う
世界の舞台へあと1勝。決勝の相手は豊田にとって最大の強敵だった。代表として国際大会に出場経験がある選手。試合が動いたのは開始1分だった。組手争いから隙をついて相手を引き寄せる。足を払い、体を腰に乗せ豪快に投げつけた。審判の右手が上がる。払腰一本。豊田はパキスタン王者になった。緊張が解け、笑顔がはじける。久しぶりに柔道を楽しいと思えた瞬間だった。
高2の8月、父の祖国であるパキスタン国籍を取得した。パキスタン柔道連盟に自らをアピール。国の後押しにより同年秋に行われたアジアカデ柔道選手権に出場した。そこで大会5位の実績を残すと、パキスタン代表に選出された。国の軍隊チームとスポンサー契約を結び、一国を背負うことになった。
今大会がパキスタンでのデビュー戦だった。「予想以上に出場人数が多かった」。新天地へハーフなでしこが乗り込んだ。
パキスタン人相手に日本のスタイルを貫いた。組手争いから相手を崩し、「技術」で勝負をかける。対して相手は体の強さを生かして戦うが、それに合わせれば疲れが出てしまう。連続する試合を見越した戦術が功を奏し、日本で学んだ柔道でパキスタンを制した。
けがを糧に
選出から1カ月後、豊田は右膝に大けがを負った。すぐに手術を余儀なくされ、その後もけがと復帰の繰り返し。3年間で前十字靭帯を3回断裂、半月板を2回損傷した。
柔道ができない時間の方が長かった。「何度も辞めようと思った」。仲間の応援ですら柔道を見るのが嫌になる。日常生活でも思うように体が動かなかった。周りに置いていかれることに焦りはない。それ以上に自分自身にいら立ちを感じた。
「技をかけるのも怖い。またけがしたらどうしよう」。それでも柔道をやりたい気持ちにうそはつけない。とにかく技をかける練習をした。柔道に対する怖さを少しずつ克服していく。
豊田は何度でもスタートラインに立った。けががあったからこそ、自分を見失わなかった。勝つために必要なものを分析。自分のことを見直せた。故障のリスクを考え、右膝の負担が少ない技の習得に挑戦した。
揺るがない夢が不屈の精神を生んだ。「オリンピックに出たい」。次の舞台は各国の猛者たちが待ち受ける世界選手権。国を背負うプレッシャーも付きまとう。それでも夢をかなえるために「1つでも多く勝つ」。若き王者の復活劇はまだ序章にすぎない。
(佐藤眞子)
【洋弓部女子】1部5位で王座進出決定!昇格から1年、応援を力に夢見た舞台へ
1部昇格からたった1年で女子チームが快挙だ! 全国の強豪が集う王座決定戦に進出を果たした。創部史上最高得点も飛び出すなど勢いは止まらない。快進撃の裏には女子リーダー・石畑理子の改革があった。
新参者の執念
得点が発表された瞬間、選手たちの目には大粒の涙が溢れた。「まだ頭がついていかない」。女子リーダー・石畑は驚きを隠せずにいた。
念願の1部昇格からわずか1年。新参者の立大に失うものはなかった。「結果はどうであれ自分たちの洋弓をするだけ」と横山(文3)は力強く宣言。甘利や髙橋を筆頭に落ち着いたプレーを見せ、3勝2敗で5位決定戦に駒を進めた。
相手は4年連続で王座を経験している明大。格上相手に終始接戦を繰り広げ、一時は1点差まで詰め寄られた。それでも冷静さは失わない。勢いを増す応援合戦も選手たちの背中を押した。最終エンドで6点差をつけ勝利をつかみ取った。
終わってみれば、創部59年目にして史上最高となる2498点を記録。同時に目標としていた王座出場権も射貫いた。5年ぶり3度目の快挙に選手たちは喜びを爆発させ、熱い抱擁を交わした。
チーム作りの1年
「どれだけ食らいついていけるかわからない」。リーグ初戦、石畑は表情を曇らせていた。1部には全国に名をはせる強豪がそろっている。昨年まで所属していた2部とは明らかにレベルが違った。団結しなければ王座進出はかなわない。
全員でチームを作っていく。独り善がりではなく、部員全員の意見を反映させるため石畑が掲げた目標。1部で勝ち抜いていくには必要なことだった。
試合中の声かけも、話し合いを通じて改善していった。「ドンマイ」という以前の励ましの言葉は、選手たちに重圧を与えていた。「ナイッショー!」。たとえ点数が振るわなくても、前向きな声が悪い流れを打ち切った。さらに高得点を出した際には、アニメの主題歌に応援を乗せてチームを盛り上げた。
わずか1年での急成長。石畑のチーム作りが功を奏した。次なる目標は史上初の王座ベスト8。「ただ高みを目指していく」。石畑はもう前を見据えている。
(富田早紀)
【フェンシング部】西林がユニバ選考会男子エペで15位!日本代表撃破など3年ぶりの全日本行きが決定!
エペのエース西林凛(社4)が日本代表を破り、自身初の全国ベスト16入り! これにより9月に開催される全日本選手権への出場が決定した。好成績を残すことができれば夢の日本代表入りがかなう!
捕らえた背中
大きな壁を乗り越えた。決勝トーナメント2回戦に日本代表の古俣と激突。強敵の中でも戦ったことがない人物だ。だが「ここで勝たなければ全日本はない」。幸運なことに相手はシードでまだ動きが重かった。タイミングを外し、自慢のリーチを生かす戦法で点を重ねる。接戦で迎えた最終ポイント。「絶対にいけると確信があった」。剣は美しい弧を描き相手の背中を捕らえた。「自分の中で最上級の試合」。目標の日本代表からの勝利にほえた。
「やっとベスト16になれた。すごくうれしい」。次戦も格上を食らい自身最高の全国15位。だがこの快進撃までは順風満帆ではなかった。
入部してからは好成績が続いた。1年の関カレは12位、2年では5位に輝く。だが直後の団体戦で同期の強敵に敗れてから下り坂に。「何か変えなければ」。自己流では通じない。プレースタイルを変え、勝ち筋を模索。だが思うような結果は出ない。3年の関カレでは初戦敗退。先の見えない道に迷い込んでいった。
勝利への道
それでも心の剣は折れなかった。3年の1月に長い眠りからようやく目覚める。きっかけは苦手としていたウエイトトレーニングに着手したことだった。週に4回こなし全身を鍛え上げた。筋力増加により正統派のスタイルをマスター。また頭と体がシンクロしたことで、理想と現実のずれが解消。狙い通りのプレーができるようになった。
変わったのは体だけではない。楽しく勝てれば良かった高校時代。でもやるなら高みを目指したい。大学に入り目標は日本代表に変わった。強い思いは勝利への執念を生む。それは小俣との一戦にも表れた。相手の弱点に気づいても対応力の高さを見越しわざと狙わず、最後の切り札として戦略的勝利を収めた。この勝ちへのこだわりが西林の武器だ。
1年次以来の全日本選手権。良い成績を収めることができれば日本代表の夢はかなう。努力を重ねた日々は無駄ではなかった。いばらの道を切り開いて見えた光。あともう一歩でたどり着く。(川田怜旺)
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