【モーターボート・水上スキー部】<引退スペシャル>2018年度主将・棚澤涼之介、歩んだ1年に迫る
毎年、9月の秋田では日本一、アツい夏がある。それが、モーターボート・水上スキー部のインカレだ。日本ではマイナースポーツのため、出場校は9校。立教はその中でも、昨年度アベック優勝をはじめ、王座を取り続けてきた。歴史もあり、チームとしても結果を残し続ける部で2018年度主将を務めたのは、棚澤涼之介(済4)。彼は、誰よりもチームと、そして主将という立場に向き合い続けた。今回は、棚澤の主将としての一年間に迫る。
2017年9月、主将に任命される
2017年9月、秋田で行われたインカレ。誰よりも泣きじゃくる男がいた。男の名は、棚澤涼之介。着用しているのは、水着ではなくポロシャツ。偉大な先輩たちや同期が水上で奮闘する姿をただただ眺め、陸に帰ってきた彼らを見ては抱き合い、涙していた。8か月後に私は、その涙の訳を知るのだった。
インカレ3日目、アベック優勝が決まり、水上スキー部が日本一へと輝いた日。棚澤にとって、新しい1年間が始まろうとしていた。4年生が引退の言葉を述べ、RWST2017は終幕。監督から新体制が発表された。「主将を発表する!」。空気が静まり返る。「主将、、、棚澤涼之介!!」。当の本人は、驚いた様子で、最前列へ。監督は続けて言う。「すず(=棚澤)なら、絶対いいチームにできる。このチームなら勝てる」。そして、棚澤を中心に円陣が組まれた。みんなが新しいリーダーを見つめている。1年後、またこの地に―。棚澤の主将人生が始まった。
主将任命8か月後、苦悩の中にいた
2018年5月。主将就任から8か月後、日々鍛錬を積む江戸川へと練習取材に向かった。練習環境で取材し、彼らの一部が垣間見えた。そして、主将就任後初めてインタビューを行った。最初に飛び出したのは、「凄い大変でしたね。これからも大変なんですけど…」という言葉。
シーズン入り前から、チーム作りに追われていた。例年、方針は主将が決めていた。しかし、棚澤は「自分が何やりたいか4年生で話したんですよ。俺はこういうチームにしたいって。そこに付け加えていって、できたって感じです」。部員の声を重んじるチーム作りを行った。
棚澤の一代前の主将はどちらかというと、ワンマンタイプ。一方の棚澤は、今までリーダー経験は皆無だった。人を引っ張ることが何より苦手だった。それだけに、主将発表時には自分という人選に驚きを隠せなかった。その反面、「監督はみんなが助けてくれるっていうのをみてたのかな」と監督の裏読みもしていた。「今のチームの在り方は、逆に自分だからできたのかなっていう風に思います」。棚澤だから作れるチームが、インカレに向け一歩ずつ歩んでいた。
インタビューの最後に、気になっていたインカレでの涙の理由を聞いた。そこには、選手として出場できない雪辱があった。選手になるための選考会で、先輩からの期待を感じ取っていた。「正直、自分の中では悔しかった」。水上で輝く仲間の姿を見る度、涙した。時折、頑張ってた先輩が完走に感極まる場面もあった。けれど、「自分の力がなくても優勝したっていうのが悔しくて、泣いてたのがありましたね」。
2018年9月、最後のインカレ
2018年9月、インカレ。棚澤世代の最後の大舞台となる会場は、緊張に満ちていた。同期が水上で雄姿を見せ、陸上に戻る度、仲間や保護者、OBOGの方々の温かい空気に包まれた。主将・棚澤は、部員をただ信じ、熱く抱擁を交わした。
2日目、いよいよ棚澤が専門とするトリックの試合日となった。立大の水上スキー部は、個々の技術力が高いだけでなく、チームの応援力も群を抜いている。特にその象徴ともいえるのが、試合前の〝送り出し〟である。4年生の滑走前に、部員が円で囲み、応援歌を歌う。最後には、送り出される選手が声を張り上げ、チームが一つになる。
棚澤の笑顔が、穏やかに見えた。しかし、実は「結構泣きそうだった」。けれど必死にこらえ、笑顔でいようとした。理由は、夏合宿前に確定した「笑顔でいよう」というチームカラーだった。「自分が笑顔じゃないと、周りも暗くなっちゃうから、自分が泣かないように笑顔をつくってました」。そしてこの笑顔は、演技後に増すのだった。
棚澤が水上でロープを掴み、出走が始まった。陸からは、応援歌とともに「すず!!」とエールが送られる。トリックは、水上で技を披露し、難易度によって得点が変わる競技。棚澤は、インカレに向けて演技プログラムの編成をした。毎回の大会で着水してきた苦手とする技を序盤に入れた。賭けともいえる決断は、功を奏した。復路も着水なく演技を終え、自身初となる完走を果たした。発狂するチームのもとへ、とびっきりの笑顔で帰還する。
「主将のあるべき姿を見せれたかな」。完走となるも、「今できるマックスの数字」と自分が求めていた水準には足りなかったと振り返る。
試合中こみ上げたのは、入部当時に感じた「楽しさ」だった。インカレ前のCS1やCS2では、結果が振るわず「追い詰められて滑ってました」。その分、インカレではやってきたことを出し切れた。「滑っている時は最後の方は楽しいな、水上スキー楽しいなという風にしか思わなかったです。インカレだからこそ、味わえたのかな」。
演技後に、棚澤は笑顔で部員に囲まれた。「なんか思いのほか泣いてねぇなーって思って(笑)でも、みんな喜んでたのでホッとしましたね」。その言葉に、肩の荷が降りたように見えた。チームとしての結果は、男子団体準優勝、女子団体優勝。2年連続でのアベック優勝には届かなかった。悔しさ残るまま、夢は次世代に託された。そして、長い旅路が終わりを迎えた。
2018年11月、主将生活を終えた棚澤への津村前監督からの言葉
2018年11月、都内でインカレの祝勝会が行われた。今季の戦績を祝し、部員や保護者、OBOGの方々が一堂に会した。
今季で監督を引退する津村前監督は、引退あいさつで3人の4年部員を取り上げた。その一人に、棚澤がいた。
「本人も自分が主将になるなんて全く思ってなかったと思いますし、そもそも60人の大所帯をまとめるのはかなり難しいこと。彼が変わったきっかけがですね、琵琶湖合宿で最後追い込まれて、試合やっても成果出なかったりしたんですけども、ある日、自分で考えてですね、チームのスローガンを変えると言って、〝笑顔〟というものを挙げたんです。これに決めたと。彼自身が自分で決めて、その通りのチームが。最後、いいチームが、笑顔のチームができたんじゃないかなと思います。すごい楽しかったです、ありがとう」。津村前監督は涙目で時折言葉を詰まらせながら、棚澤に感謝を伝えた。
その後の棚澤のあいさつでは、主将を務めたからこそ分かった〝立教らしさ〟を伝えた。
「チームの方針を途中で変え、〝笑顔のチーム〟にしました。最初は、千射万箭でした。スローガンの意味を考え直した時に、スローガンとはチーム指針をぱっと分かりやすくするもの。それで、自分がどういうチームを作りたいか考えて、たどり着いたのが笑顔のチームでした。立教のよさは、自由なところだと思います。自分がスローガンを変えると言っても、みんなが賛同してついてきてくれたりとか、そういうのは立教じゃないとできない。だから、立教は他大学と違ったチームカラーがあって、だからこそ強いのかな、だからこそインカレの戦い方も違うのかなと思います」。
日本一へとチームを導く主将が発する言葉一つひとつに、全てが詰まっているように感じた。彼が過ごした葛藤の1年間を、そして、立大のモーターボート・水上スキー部というチームを。(2月18日/小林桂子)