【ソフトテニス部女子】『さよなら、“最強の4年生”』 泉田歩聖は、団体で運命のW前衛! 集大成を運命のペアで飾った。
――岡山インカレにはドラマがあった。60年ぶりのインカレ準優勝。戦いを終えるごとに自信にあふれる彼女たちの姿は、見るものの心を動かした。松永(文1)・土井(文1)の三重高1年生ペアのW3本回しは特筆に値する、まさに“ドラマ”。今後の立大を背負う存在になる可能性を十二分に感じた。
一方で、来る者あれば去る者あり。本特集は、インカレを最後に引退となる“最強の4年生”をピックアップする。プレーにチーム運営に雰囲気づくりに。4年間、その実力・人柄を遺憾なくチームに還元した。そんな4年生の引退に際して…。彼女たちの功績を少しでも文字に残したいと思う。
泉田歩聖(いずみだ・あゆみ=コ4)は、ラケットで頭を軽くたたき笑顔を見せながら、コート中心へ。挨拶後はベンチで小林(コ4)と談笑。その小林と臨んだインカレダブルスは自身インカレ最高成績を上回るベスト16。この結果は皇后杯の出場権を獲得する快挙で、満足いく結果での引退に、終始“泉田スマイル”全開。そして、笑顔のままコートと別れを告げたーー。
数奇な運命が待っていた。最後のインカレを控える泉田の、遡ること大会1カ月前。練習で偶然始めたのが、4年間を最も近くで過ごした主将・中田(文4)とのWフォア―ドペアでの練習だった。「まあ、練習で組む程度なんですけどね」。インカレ前の取材では軽視していた本人たち。女子のソフトテニス界では稀な超攻撃的布陣は、いつしかチームの起爆剤となる“インカレの秘策”になっていた。
憧れの存在から、共に戦うペアとなった。泉田は入学当初、攻撃的でラリーの中で動きが活発な中田のプレースタイルにあこがれていた。自身は、確実なプレーと狙い定まった攻撃参加が強み。対局なスタイルの中田、高校までの実績が備わっている中田をどこか目標に定めていた。一方、中田も泉田のプレースタイルは「目指すべき形だと思う」。ともに組むことが4年間なくても、まさに大学生活は切磋琢磨。2人の異なる前衛は、それぞれにそれぞれを目指し、それぞれにプレースタイルを確立した。
まさに奇襲が成功した。Wフォア―ドは、その特徴からも速攻での得点が主。1ペア目で起用されたイズナカは、相手チームを惑わせた。初戦の松山大戦で起用されるとまずはあいさつ代わりのストレート勝ち。その後も、結成間もない粗削りさから連携ミスをすることがあっても、とにかく速攻。むしろ、この2人だからこそとれる練習量では説明のつかない連携が、勝敗以上にチームを勢いづけた。
息が合わないわけがなかった。お互いに大学で上京し、独り暮らし。親交の深い2人は、練習のない日でも、一緒にいることが多かった。テニス、私生活の話など会話は絶えず、オフになると互いの家で遊ぶことが多かった。4年目には、互いに主将・主務という幹部同士の関係に。「中田の伝えられないことは私。私では言えないことは中田が言って。支え合いですね」。二人三脚の1年の集大成が、まさかの一緒にプレーするというWフォワード最後の最後まで、互いを支え合った。
本当に笑顔が似合う4年間だった。決勝では、好調な2人を雁行陣(前衛1人、後衛1人によるダブルス)で出場させる布陣から、3ペア目での登場。昨年度天皇杯覇者のスーパールーキー・林田リコ(東女体大)らに善戦。翌日に行われたダブルス後も笑顔だったのだが、日本一がかかった重責の決勝戦でも終始笑顔。そして、最後のインタビューでも記者に笑顔で試合を振り返った。「目標も達成できたし、最高の大会でした」。主務として、選手として。多方面での活躍を、学生記者という間から垣間見る機会が多かった。だからこそ、最後が笑顔でよかったと、心から思うインカレであった。
(10月5日/取材・文 川村健裕)
プロフィール
泉田歩聖(いずみだ・あゆみ)
当麻町立当麻小―当麻町立当麻中―北海道旭川西高―立大今年度ソフトテニス部女子主務。1997年2月14日、北海道美瑛町生まれ。161cm、O型。特技はピアノ、趣味は旅行。旭川西高から自由選抜入試で立大入学。1年次から団体戦、個人戦と安定した成績を残し続けた前衛。ミスの少ない確実性と、機転を利かせた攻めが持ち味。下級生の頃から部の裏方の仕事もこなし、仕事にテニスに二刀流な4年間を過ごす。ソフトテニス生活を振り返って、「堅実」さを大事にしてきたとコメント。選手として団体戦に出場した主務は稀で、二兎を追って、二兎を得た大学生活であったといえる。
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